布団から出られない

好きなものがとことん好き。考えたことや読書記録を書く予定。

私は私の専門家

日々選択肢を選んだり、その都度情報を調べたりが面倒なので、リスト化やルーティーン化してるという話を、先日書いた。

 

似たような話で「去年はどうしてたっけ問題」が、皆様の身近でも起こってはいないだろうか(急に語りかけるスタイル)。

季節の変わり目だけでも、去年いつ羽毛布団出したっけ?炬燵はいつしまう?等、枚挙にいとまがない。

 

そこで「去年はどうしてたっけ参照メモ」を作った私は、私の秘書としてガチで優秀だと思う。マジで去年の私グッジョブ。

去年の私だけでなく、先週の私は今週行く出張のルートと所要時間をクリップしているし、日曜の私は週の献立を決めて作り置きまでしているのだ。偉すぎないか。

 

誰にも頼れないので自分が自分をサポートしているといえばそれまでだが、私は私の専門家なので、かなり有能なんだよな、これが。

これを仕事にして生きていきたいけど、給料出ないしな。てか、払うの自分だわ。

情報が多すぎる問題

未だにLINEもやらない情報弱者だが、それでも日々の生活の中に情報が多すぎて、みんなどうしてるんだろうと思う。この話題自体が周回遅れなのかもしれんが。

あるいは、情報が溢れて受けとりきれないことが当たり前でストレスを感じない人はこれでいいのかもだけど。

私は手元のものが把握できないとげんなりするタイプなので、服も規定の枚数を越えたら処分したいし、読まない本をまとめて年数回は図書館に寄贈したりしてる、エセミニマリストなので、すぐ物を捨てたくなるのだ。前に見た海外のこんまりの番組面白かったな。

 

で、情報の話。

定期的にスマホで見るものに限定しても、

You TubeTwitter、U-next、読書メーター

Amazon。後は本屋のアプリ等がある。

登録チャンネルもフォロー数も、20あると多いなと感じるので、たまに整理はするけれども、これらを巡回するだけで膨大な時間がとられ、観たい映画と読みたい本と作りたいレシピをメモし、後で見る動画やブクマをクリップし、さらに「後で見る」と「後で読む」を消化する時間を別に週1くらいで設けることになる。

...これ、みんなやってるのかなー。

 

職場の人が、(※キャッシュレスが普及する前の話)ポイントカード多すぎて探せないって言ってたけど、それは私にとって恐怖ですらある。

おかげで(?)、自分なりに日々の情報を整理するルーティーンはなんとなく確立していて、優先順位として期限に限りがあるToDoリストと、月内に検討するリストとその他に分けて、今日することからこなしていくことにしているけど。...普通か?

これとは別に「定期的に脳内に浮上する気になるけど解決しないもの」もあり、スマホの買い換えとか、美容院難民問題とか、保険や持病や貯蓄に関するなんやかやとかを、なんとなく調べるサイクルがある。(結論はでないし解決もせず、期限もないことなので、ずっともやもやする)

職場の人(先程登場した人)が、誰かの動画を見て「迷うことには膨大なエネルギーを消費して疲れるらしいよ」と教えてくれたが、この毎度解決しないことに迷ってる時間はとてももったいないし、確かに疲れる。

いちいち迷う/調べる手間を減らしたくて、私は着る服の組み合わせを月単位でメモしているし、時間休をとるときの電車に乗る時間の一覧も、格安カラー専門店リストも作ってある。さらに時間があれば、来週食べたい献立の暫定リストも作る。

便利だけど、ルールの多い人みたいになって、少しだけ窮屈。

 

 

カンペキなカラダ

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 新年度が始まって、気持ちも新たに1日目。風邪で欠勤した。前日に発熱したが朝平熱に下がったので電車に乗ったら、みるみる具合が悪くなり、引き返したのだ。
 昨年度だけで3回も発熱した。年に1度は仕方ないとしても、多すぎる。日々のうがい、手洗いを心がけている中での発熱は「お前の努力など屁でもないわ」と言われた気がして悔しい。こんなていたらくでは仕事を続けることができなくなってしまう。

 原因はおおよそわかっていて、アレルギー性鼻炎で口呼吸になり乾燥で喉を痛めたところをウィルスにやられるのだ。なので、喉の異変を感じたら、頻繁なうがい、はちみつ100%飴の摂取、就寝時の加湿器設置とマスク装着、就寝時間を繰り上げるなどの対策を講じてきた。しかし、やられる。ここらで抜本的改革が必要だ。ウィルスを完全に防ぐことは無理なので、もらっても発症しない体を作ることが必要だ。もうひとつ、発症した時に直ちに回復できる体力もほしいところだが、それはまだ次の段階。

   人間には「免疫力」なるものがあるらしく、食べ物から摂取したり、運動することで高まるらしい。私には備わってるのだろうか。ヨーグルトは毎日食べてる(ビヒダス派)。R1ヨーグルトって効果あるのかな。毎日免疫力を考えて献立たてるのは私の脳ではキャパオーバーだし、継続的運動については「日常的に階段を使う」「TVを見ながら踏み台昇降」以上は望めないことが判明している。とりあえず爪をもむとか、できることはやってみる。あとは積極的に日々笑うようにすればいいのか。

 ここまで考えてきて、改めるべきは「食事」「運動」という免疫の2大要因を軽くスルーしたことと、最大の要因「睡眠」が、何かに集中するとめりめり削られることだと思う。そもそも本気でどうにかしようと思ってたらもうちょっと頑張るんじゃなかろうか。やる気あるのか、自分。まだ喉が痛いので、今日から口にバンドエイド貼って、マスクして寝る。最終的に力技。

 

一本釣り家系の末裔

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 6歳と2歳の姪と月1ペースで遊ぶ。大抵妹の家で室内遊びなんだが、ここ1年くらいの遊び方というか、6歳児の発想にもやっとする。なんというか、発想が女子なのだ。
 プリキュアアイカツという幼稚園年代の女子文化にある程度毒されているのはやむなし。自らも幼少期は長いスカートを履いてお姫様ごっこしたり、「ヨーカドーに100万円のダイヤを買いに行きますの」的なお買い物ごっこもしたはずだ。どうもひっかかるのは、「男と女が登場するが、その性役割が固定化されている」ところのようだ。

 具体的には、6歳児が女子人形を集めて審査員の王子様(カレーパンマン)の元で「プリンセスコンテスト」を始めたときに「田嶋陽子が怒りそうだ!」と思ったのだ。綺麗に着飾って点数をつけられて、あなた選ぶ人、私選ばれる人。「女は相手好みに飾り立てて容姿を競い、男は配偶者として1人を選ぶ」というシステムにひっかかってしまったのだ。一言添えるなら「女は選ばれるだけじゃない、選んだっていいんだぜ!」と言いたかった。「私はもっと素敵な王子をハンティングするんだ」とドレスを脱ぎ捨てて旅立って欲しかった。でも急展開すぎて6歳児にドン引きされそうだったので、プリンセス候補が自らをごてごてに飾り付けて笑いをとるという展開でお茶を濁す。そしたら6歳児は「この服がいけなかったのかなあ」と、ごてごて子になりきって反省を始めおった。目を覚ませ!相手はカレーパンマンだぞ!ごてごて子は誰かに選ばれるよりも個性的に生きることが幸せなんだよ!という伯母の思い届かず。

 このままいくと立派なスイーツ(笑)になりそうなので、今後も地味に破壊工作を試みなくては。うちの家系にはスイーツ(笑)はいない。肉食/草食で分けると「珍味一本釣り」系女子なんで!2歳児の方はまだ男女という概念がなさそうなのと、父親に似てややヤンキー気質らしいので今後に期待。娘たちよ、狩りに行こうぜ。

宇宙初オンエア体験

 

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BUMP OF CHICKENのニューアルバム『Butterflies』アルバム曲の宇宙初オンエアを聴いた。聴いたというか立ち会った。「聴く」ということを超えた体験だった。

ラジオから離れて数十年。がっつり聴いていたのは中高生の頃だ。Radikoで番組を選曲し、現役中高生に混ざって待つ。なんだこのわくわく感。家のことを取り急ぎ済ませて、明日のことをちらっとは考えながら、生活のエアポケットとなる待機時間。風呂に入るタイミングを考えるが、リスクを考えると全部後回しだ。普段はないエアポケットを中心に生活の諸々が端っこに追いやられる逆転現象が、ちょっとした非日常感。満を持してメンバーが登場し、いよいよ宇宙初オンエアの瞬間。電波に乗って曲が流れるのを待つ。こんなに「今」を意識することは、日常にはない。

目を閉じて聴いた。うおおお。曲が終わるとリスナーに電話が繋がり、彼女は感想を伝える。私が「うおおお」としか言えないことをちゃんと言葉にしている。藤原君が泣きそうになっていて私も泣きそうになる。少し泣く。ちゃんと届いてよかったと、出会いの場面に立ち会った観客として。ある意味これもライブなのかも。

BUMPの「伝えたい」「届けたい」「側にいたい」という思いはずっと変わらないけれど、最近は、より思いの濃度が高いというか切実さを増しているような気がする。いつか届けようとしても届かなくなる、その日がくることを知っているかのような、願いと叫び。まともに対峙すると身体にくる。なんていうか、苦しいのだ。でも、この苦しさが嫌いじゃない。生きてるって感じだ。そして何万人のうちの1人としてでも、「届いてるよ」と伝えに行かなくてはと思うのだ。そんなこんなで、チケットを全力で獲得することから。

おみくじあれこれ

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運気が節分の後に変わると聞いて、節分以降に近くの神社でおみくじを引くことにしている。2月の神社は空いていて、冬のしんとした空気と、もうすぐ春という柔らかな陽射しが相まって心地いい。正しい参拝作法を確認して心の中で名前と住所を唱えるのも忘れずに。神様は多忙で、顔だけでどこの誰かを判別できるほど暇ではないのだ。しかし次々と口頭で述べられる名前と住所を暗記するのも大変だ。きっと速記係が控えているのだろう。私も速記には多少自信があるので、転生したあかつきには立候補したい。そのことも念のため、お伝えしておく。

おみくじの良さは内容に意訳できる余地があることだと思う。悪い運勢でも「上がる一方」という解釈ができる。個人的には項目ごとの文言がツボで、「失物:物の間にあり」など超具体的なものから「待人:道に妨げあり来ず」「縁談:腹立ちて自ら破る恐あり人に任せよ」などの物語仕立てのものまで楽しめる。ちなみに待人は人であるとは限らず「良い知らせ」などの解釈もできるという。近隣の人見知り猫がなかなかうちの前に来ないのも、道に妨げがあるからかもしれない。

ここまで書いて、今年のおみくじを引きに行った。大吉だった。恐い。逆に恐い。運を使いきってしまったのではないか。内容は「ちゃんと収穫できるから仕事に励むように」というようなものだった。結果は出るけどその分働きなさいよと人参ぶら下げられたような。せっかく大吉を引いたのに喜べない天邪鬼な心。末吉くらいの方が、つつましく幸せな気持ちになれる気がする。ともあれ先週はスカートを壊したりコーヒーカップを割ったりと散々だったので、運気が好転すると思いたい。と思った矢先に、出汁の入った鍋を間違って洗ってしまった。わかっている。これは運とは関係ない私のポンコツさであることを。こんな調子でせっかくの運を正しく使えるのかが、目下の課題である。

 

まだ本気出してないだけ

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世の中にはいろいろな生業がある。その中から知っている範囲で興味のあるものを選択し、成績と相談して進学し、知識や技術を身につけて仕事にする。多くの人がそうしているし、私もそうしてきた。途中で業種ごと転職する人もいるだろうが、それでもやったことのない仕事は無数にある。時折、私は「もしかして自分にはフォークリフトの運転がものすごく上手いとか、隠れた才能があるのではないか」という夢想に耽る。なぜフォークリフトなのかは謎だが、自ら挑戦しなさそうな分野から選ばれたようだ。要するに「私には眠っている才能があり、まだ開花してないだけ」ということだ。明らかな現実逃避。

職業適性テスト的なものが進化して、あらゆる技術が点数化され、適性のある職業が自動的にはじきだされたとしたら、それを選ぶだろうか。例えば私に何かのスポーツの才能が抜群にあり、オリンピック強化選手候補になったとしても、私はスポーツ選手にはなれない。ビビリ属性が強すぎて人前で競技なんてできないし、ストイックな練習にも耐えられない。ならばメンタリティも得点化して考慮してはどうか。しかし「布団から出たくない」と思っていることを正直に答えた場合、適正な職業などあるのだろうか。仕事だから毎日出勤しているが、家から出ない仕事になったら本当に誰にも会わない生活になり、人里離れて山ごもりしているおじさんのようになる自信がある。向いていようがなかろうが、職があってお給料がもらえて、本意でなくとも外出して人に会う機会が得られるというのは有り難いことなのかもしれない。就職は「布団から出たくない属性」の人の更生プログラムも兼ねているのか。適度なストレスは人を成長させると聞く。どこかで密やかに私の属性は数値化され、「この職なら多少文句を言いつつもそこそこ続くだろう」と巧妙に遠隔操作されたのかもしれない。随分手間がかかっている。ならばしばらく続けてみよう、と思いながら、私は月曜日を迎える。